タガタメニ。

<求める心が知と友を呼ぶ>

令和6年8月30日 台風接近中の社内。

暑さ寒さも彼岸には少し早いが
猛暑は少し落ち着いたと言い聞かせる。脇の下が気になる。

私は親父の影響でNHKフリークである・・というかそれしか観せてもらえなかった。
しかしながら、この歳になりその大半をゴルフ番組とNHKのノンフィクションが占めている。
ちなみに「ドキュメント72時間」は大好物である。

8月は戦争に関する番組を多く目にする。観ると痛みを伴う為、リモコンを握るが
やはり観てしまう。戦争当事国であり約80年前に起こった事実と生の声を聴くと
幼少期の親父と観ていた時の気持ちに還される。怖いが観たいそして知りたい。
多くの悲劇を映像に残し目の当たりにして1世紀以上経過してもまだ多くの争いが。
愚かである。
メンツ・・誰かの個人的な。過去も現代も。

誰がために? 家族の為、友人の為、困ってる人の為。ではない。
学ばない、一心不乱過ぎて世界のどこかで現在も。俯瞰できない。

「完璧は善の敵」だと哲学者の使い古された言葉。
完璧でなくてよい、失敗に学べばよい。
多少の遊び心がある方が良案が生れると解釈する。

学力(IQ)を最優先する人は多いが、ひとりで完結する力は大事であるが
社会的知性(SQ)を身に着け俯瞰力かつ能動的な人が本当に必要な人であると。
それを分からない愚か者がリーダーになることが悲運に繋がった。

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誰がために。友人の為に。
中学の折、昭和56年前後。ラジカセの時代、カセットテープで音楽を聴く時代。
思春期であり、メロディと歌詞に恋する青年であった。
しかしながら、相変わらずの頑固親父には理解もなく、バイトも出来ず
どうしても欲しい楽曲が多くあった。
(長渕剛・松山千春・オフコース・尾崎豊・チャゲ&飛鳥・・・あーカラオケ行きたい)
当時TDK、マクセル、SONYの御三家。ノーマルで500円前後、一瞬ためらう。結局未購入。
友人に借りてばかりで歌詞に感傷的になりだした頃、回収される。カリパク出来ず。
そんなある日、友人から2本のカセットテープを渡されるのである。
TDKのクロムで60分のテープを2本!
何っ?て聞くと、作ったからあげると。そそくさと通学路へ。
なんと上記歌手の、しかも私のお気に入りの楽曲が目白押し!のオリジナル版。
しかもカセットテープケースにレタリングシートで一曲ずつ曲名を転写。
これ数時間は費やしてるはずである。
アルバムタイトルは確か「KAWABE ORIGINAL❜S」だったかと。
令和では「寒さ」を感じるが「昭和(中学)」では高揚感マックスであった。
中学生活であんなに興奮したのは記憶にない。
タガタメニ!
彼は私の為にカセットテープを街はずれまで行き、自らのお金で購入し
そこから私の好きであろう楽曲を選曲し一曲ずつダビングし転写したのです。
倍速録音はないので60分×2本=120分!選曲に数時間?レタリングシートも含めると・・・
今でも宝物で実家に存在するが機器が無いためケースの中に彼の思いと一緒に時間が止まっている。
小事なのです。しかしながら私にとってはこんな事ができる人と仲間でいたいと
その先も友人が親友になって行きました。

誰がために!祖父母の教えでもありました。
「人の為に」「誰か見てなくても」「人にやさしく」
お小遣いを無心するも耳にタコで、結果トマトスライスとキュウリが出てくるのです。
特に「辛抱しなさい」とは祖母は口癖でした。幼稚園児から社会人になってからも。
社会人になった時には最も嫌いな言葉でした。辛抱。保守的に感じてたのかも。
しかし半世紀生きて無意識に「金言」になっていた。
特に経営者になってから。

ありがとうを言ってもらえる人になる。
その先に承認欲求を満たしてもらおうとしていた。
改め・・
ありがとうを言える人になる。
承認欲求を満たす側の人を目指し信頼を得る。

信頼が生れる所作は、相手が「自分の為に何かをやろうとしてくれている」と体感した時である。
口先でなく社会的知性を持ち合わせ満たす人へ。満たす会社へ。

沢山の社員と学んだ知識を披露するのではなく誰かの為に使う。
そして、初めて知性となり、一助となる。

タガタメニ。
近くで信頼してくれる「ひと」の為に。

満たせる人へ。

代表取締役 川邊 源安