マチガイサガシ。

<タイシヲイダケ>

令和元年6月22日 正午 社内にて。

「令和」が連呼されてから、幾日か。つい平成と記載してしまう。

昭和に学び、平成に務め、令和に熟せるのか・・

想う・・・皆が年下になって来たなと。
あらゆる分野で「感動」させてくれる人が皆、年下である。
私もその年代を生きたはずなのに。
でも、これからである。「中年よ大志を抱け」

立場上、相談を扱うことが多い。誰かの言葉に「マチガイヲサガス」日々である。

そうなのだろうか。相談者は赤ペン先生を求めているのか。
自らの思いを伝え、相手の言葉に温度を感じたいのか。

皆、何かを遣ろうとすれば「怖さ」が先行するはず。

電話すること。メールすること。
電車に乗ること。学校へ行くこと。部活に行くこと。
会社に行くこと。会議に出ること。飲み会に参加すること。
対話すること。行動すること。
学ぶこと。考えること。

そして変わろうとすること。

遣ってしまえば案外、遣れてしまうことが多いのに「どうせ無理」と早計なのである。

どれだけ経験しても、相手・環境が変われば遣り直しである。そりゃ、怖いはず。

本意ではないことを受け入れている人が多いのも事実である。
生きる為には、道徳もへったくれも、それも事実である。

しかし、「怖さ」と対峙しなければ「変われない」と思う。
言葉遣い・誤字脱字・計算ミス・パソコン不得手・報連相苦手、上等。学べば良し。

「どうせ無理だけど本意ではないけど生きる為」
それを分かっているなら、怖さと対峙し、経験を積み重ね楽に生きる方法を思料すれば良い。

「感動」させてくれる人は恐らくその事を分かっている「奇才」なのであろう。
そこまで、行かなくとも「怖さ」を忘れる為には「遣ってみる」事である。

若者よ大志を抱き、遣ってみれば良い、失敗に学べば良い、それでも悔しい日々である。
誰かの物差しで測らず、自らの思いで行動すれば、誰かが声を掛けてくれる。
小さい「感動」を繰り返せば良い。

その「遣る」事への評価も私の所作であろう。

                        
                              代表取締役 川邊 源安    

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